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瞑想とは?

瞑想とは?

瞑想とは何か?

瞑想は、一般的には、坐して、心を落ち着ける行為のようなイメージがあることでしょう。

瞑想を、実践方法論的な見方から見れば、坐るのもあるし、歩く瞑想もあったりと、数多くの形態があります。
また瞑想を状態としての見方から見れば、主観意識状態の言語による定義化は難しいため、言葉で形容するのはたやすいことではありません。

「マインドフルネス」でも有名な、偉大な禅僧である、ティク・ナット・ハン師は、瞑想をして
「起きていることをはっきりと観ることである」と言います。

私はそれを、通常私たちは「起きていることをはっきりと観ていない」という事実に対する、師の思いやりある問いかけであると理解しています。

「起きていることをはっきりと観る」

これはどういうことか?

私たちは心の自動的な「反応」によって、世界を今このように認識している。
簡単にいうと、あなたの心がそう認識するから、そうなのです。

つまり、心の作った世界を見ているのであって、「起きている」真実を見ていない。
真実はあなたの心が作り出す、情報世界の生まれる前の世界です。
言い方を変えれば、そうだと思い、それに臨場感を持つから、現実が生まれるということ。

そこには良いも悪いもない。
ただそうであるという絶対的な在り方のみがある。

優劣も、良いも悪いも、綺麗も汚いも何もない。
般若心経説くところの「不垢不浄」。

「起きていることをはっきりと観る」

これはつまり、自分の心の縛りから自由になるということ。
心の自動反応によって作り上げられているように見えるこの「現実」が「空」(くう)であることを見破り、「あなた」自身が圧倒的なエネルギーそのものであり、すべては可能性であることを知り、自由になる。

そして真理というのは、「自分」が知るのでは在りません。
あちらから自然とやってくる。

これについて、道元禅師の正法眼蔵- 「現成公案」からの一節を記します。

自己をはこびて万法を修証するを迷とす
万法すすみて自己を修証するはさとりなり

(masaの意訳)
この自我としての「自分」が覚ろうとして、修行し、それがわかったというのは錯覚である。なぜなら、自我はいくらあがいてもそれ自体が概念という迷妄であるから。それはいのちの本当のところでない。だから、迷いである。
本当のところは、ものごとが真理を示し、この「自己」とは何かが示されることがおきる。そうならば、それは覚りである。

自由であることの中でこの現実世界をあえて生き、人間として生まれたが故のその豊か身を味わい尽くす。
その感動は想像をはるかに超えるものです。

その上で、その反応パターンを能動的に選択し、そこに臨場感を持ち、今度は世界を創造するようになる。
精神解放としての圧倒的自由を獲得し、また世界創造としての自由も獲得する。

こんなことが可能となってしまうのが瞑想なのです。

瞑想の全体像

瞑想には数多くの形態や系統がありますね。
なので、ある程度分類することでその理解が深まるでしょう。

形態という意味では、坐る瞑想、立つ瞑想、歩く瞑想、書く瞑想などを行って、「起きることをはっきりと観る」ということをしていきます。

これは、仏道では、作法にかなった立ち居ふるまいを「威儀」(いぎ)と言い、人の動作を行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の四つに分け(四威儀)として教えています。

また、系統の面では、瞑想の全体像を把握するために、仏道の顕教と密教の体系に分けて見るとわかりやすいことでしょう。

「顕教」には、主に以下の二つがあります。顕教の瞑想は、心についているものを浄化したり、止めることによって、問題を軽減したり、本来の自己に目覚めるというもの。

・「止」:「サマタ」(サンスクリット語では、シャマタ)
・「観」:「ヴィパッサナー」(サンスクリット語では、ヴィパッシュヤナー)

「サマタ瞑想」は、心を一点集中(随念)させ、三昧に至ることを目的とします。
「ヴィパッサナー」は、ありのままを観て(随観)、無常・無我の智慧を悟るすることを目的としています。

その後、密教体系に取り込まれた顕教修行では、「止観瞑想」と言って同時に行います。
(経典では、天台智顗の「摩訶止観」などが有名です)

「密教」には、様々な瞑想法がありますが、顕教の瞑想にしっかりと熟練しながらも、観想法(簡単にいうと体感を伴ったビジュアライゼーション)によって心を書き換えていく技法が多いのが特徴です。

機能脳科学的な言葉を使うならば、心に実を与え、手触りを持って変える力を身につけることによって、「内部表現の書き換え」をしているということになります。

何れにしても、全体を通して、心を掌握し、コントロールし、清浄にし、そして、豊かな心を育んでいくものですね。

 


私たちの恵まれた環境

 

瞑想は古くから先人たちによって、実践され、様々な技法が開発されてきました。
瞑想って、本当にロマンです。
壮大な積み上げられた情報空間を享受できる素晴らしい「行」(ぎょう)です。

私たちはとても恵まれた瞑想実践環境の中にいると思います。
代々伝わって来た技法を思う存分、享受できる環境。これは贅沢の極み。

歴史を遡れば、現在確認されている限りでは、パキスタンにある5千年ほど前のインダス文明、モヘンジョダロの遺跡から、瞑想を行っているような印が見つかっています。
昔から何かしらの瞑想に位置付けられるような行が、世界各地で行われ。精神探求が行われてきたことは間違いないようです。

私は基本的に宗教観を外した科学的なものであるという位置付けで、瞑想を伝えさせていただいています(宗教観を外したら瞑想とは言えないという主張と議論はとても有意義ですし、その主張はある見方からは受け入れます)。
しかし、やはり、各宗教体系において長年にわたり伝わって来た事実もあることから、宗教の変遷と瞑想の関係を見るのもとても面白いです。

日本では、瞑想という言葉は、英語の”meditation”の訳語として当てられたものであり、伝統的にその語が継承されてきたわけではありません。
日本に伝わる語としては、「定」「三昧」「静慮」「禅那」「瑜伽」「等持」などがあると言えます。

また、日本では、禅により、その恩恵が多分に広がっていると言えます。
ここ最近ではマインドフルネスによりまたその認知が加速しています。
また、マインドフルネスについては、おいおい書きたいと思います。

こうして多くの方の実践を受けて、伝えられて来たことによって、また、多くの先達の臨床経験の末にこうして、集約したものを受け継がせていただいている。
とても恵まれた環境の中にいるとも言えますね!

瞑想の本質

瞑想とは本当に奥深いもの。
チベット仏教では、顕教を25年ほど納めてからでないと、密教に進めないなど、長くの修業を必要とされるものです。

学べば学ぶほど、知れば知るほど、体験が深まれば深まるほど、ソクラテスの言った「無知の知」を思い知らされます。

また、それが次への扉を開け、そこにはまた「未知」という「道」が、ワクワクと驚きの種を今に花開かせようと待っている。

この「道」を歩めること。
こんな楽しいことはないのかも知れませんね☆

これは、非常に大切。
ある意味、終盤を迎え、集大成に入ります。

まず、「縁起」と「空観」をしっかりと理解すること。
これは「絶対こうだ!」を崩し、さらに人生を楽しむ視点を身につけるための土台のようなもの。

全ては関係性で成り立っていて、その主体と客体のどちらかが落ちれば、その自我は存在しえない。
物理学ではものさえもそのように存在していないと言います。

ならば、それは絶対的な「実」(じつ)ではなく、ただ縁りて起きているだけ。
だけど、本当は「空」なのに、あると思い込み、過去に引きずられるいわゆる「ホメオスタシス」の働きによって、でっち上げた記憶による「実」の世界に入ってしまうことも多いのが現状。

ここを打破し、世の中、可能性しかないということを実感します。

そして、「情報空間」と「物理空間」の関係性をしっかりと観ます。
ある仮説、「物理空間」は「情報空間」の写像である。

これは、デヴィッド・ボームの説いた「暗在系」と「明在系」に近いもの。

人は、この世界を情報で構築し、そして、そのようにあると理解している。
つまり、そのように世界創造をしているわけです。

「情報変われば、世界は変わる。」

しかも、それは生体反応にまで出ます。
映画を見て、手に汗を握る。
実際それは起きていないのに、視床下部までその情報で影響を受け、物理的に汗をかいちゃってるんです。

「情報変われば、世界は変わる。」
「情報空間」と「物理空間」の理解もとても面白いです。

その上で、どの情報を採用するのか。
言い換えれば、どの世界を選び取るのかということ。

さらに言い換えれば、どの世界に「臨場感」を持つのか。

悩んでいる時は悩んでいる。
困る時は困っている。

「悩んで」いる時は、「悩み」に臨場感をもっている。
「困って」いる時は、「困り」に臨場感をもっている。

それと縁を結び起こしている。

物理学での最小時間単位である「プランク時間」(5.391×10のマイナス44乗s)では、宇宙は消え、また起こっているとされています。
その速さに意識が追いつけるとは思いませんが、でも、消えてまた起きている。そこに人間は情報空間を挟ませて、世界を継続し、過去に縛られているだけ。

そして、もし、今どうであるかということを選び取ることができるという情報空間に「臨場感」を持つことができるならば、世界は変わると思いますか?

ボクはそう考えます。
そして、ボクの理解する限り、まさにそれ自体が密教の本質なのではないかと。

その時にあなたが何を縁起を結ぶか。

幸せですか?
それとも違うものですか?

それは、極めて高度な「マインド」の使い方であり、高い抽象度で前頭前野をフル活性することによって、可能となる状態でしょう。

そして、それを獲得するためには、変性意識状態に入る必要があります。
そのための有効な方法がリラクセーション。

「空」を理解し、弘法大師空海の説くところの時空を超えた「識」の世界で、情報空間を抽象度高い状態で、しかも、圧倒的な規模で書き換えてしまう。
そして、「色」が変わる。

これはあなたの望む、「現実創造」言い換えれば、「夢実現」そのものです。

それが瞑想で、そのことが可能という方法論はある程度確立しています。
さあ、実践あるのみですね。

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