masayoga column

存在の本質を瞑想で知る

存在の本質を瞑想で知る

存在そのものという本質

今朝の瞑想で、ふっとみなさんに伝えたいことが湧いてきました。
言語化したら、当たり前の話に聞こえるようになってしまったから、捨てようかなと思ったけど、書いちゃったからシェアします。
 
 
神経科学の発達などで瞑想の効果はかなり広範にわたってわかってきました。
 
 
順じて、能力開発、ゴール達成などの、現代に生きる私たちにとって、非常に実用的な効果も見込める最高の人間開発ツールだと私自身も痛感して、その側面としての、瞑想も教えています。
 
 
そうした側面は人間として「如何に在るか」について問うているものだと思います。
しかし、それは、人間として「在る」こと、そのものには切り込んでいません。
 
 
つまり、「存在」そのもの。
在る」ということそのものの本質
 
 
仮説かもしれませんが、人間として、生命として、「在る」ということそのものが喜びであるとわかるなら、ずっと何が起きても喜びで居続けることができます。
 
 
「タイッティリヤ・ウパニシャッド」に記述のある「パンチャ・コーシャ」理論では、一番根底で人間の本質は、「アーナンダ・マヤ・コーシャ」(歓喜鞘)であると解きます。
私もこれをヒューリスティックに採用しています。
 
 
瞑想は、この存在の喜びを実感として体験してしまうものであると言っていいでしょう。
静かに坐して、ただ味わう。
 
 
それそのものに慣れてくる。
つまり、存在そのものに慣れてくると、それが心地よくなってきます。
つまり、「Do」なくても「Be」そのものが喜びで在るとわかる。
 
 
いつも忙しいとその存在そのものに中々意識が向かず、何をするか、どう在るかのみに意識が向いてしまっているかもしれません。
それは人間として生まれた以上、とても楽しくて、大切なことなので、どんどん追求して、成長・進化しましょう。
それがなぜ必要かは別の機会に委ねます。
 
 
同時に、あなたが存在していること自体がとても尊くて、美しくて、感動的で、心地よくて、喜び。
そうであることが瞑想でわかります。
 
 
あなたが存在していること自体がとても尊くて、美しくて、感動的で、心地よくて、喜び。
覚えておいてくださいね。
 
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