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masayoga column
サティヤの実践
瞑想ヨーガの教典、「ヨーガ・スートラ」の中に、修練の8つの階梯というのがあります(八支則)。
そのうちのひとつ目に「ヤマ」と言うのがあります。
これは、簡単に言うと、しないほうがいいことリストみたいなものです。
そして、そのヤマの中に「サティヤ」というのがあります。
これは、嘘をつかないと言う意味ですが、
つまりは、「正直」でいること。
そして、その意味のひとつは自分に対して正直でいるということです。
ボクはずっとそのサティヤが本当の意味でわかれば、ヨーガの大半はわかると体験的に強く感じています。
あなたが今そのようにあること。
調子良かろうが、悪かろうが、悲しかろうが、うれしかろうが。
最近の研究では、細菌叢が人間のあり方を操縦するかのように牛耳っているというようなものもあったり、1983年発表のベンジャミン・リベットの研究でも、すであなたが行うことは意志の力によって行なっているんではなくて、準備刺激が思い以前に走っていて、意識が後からそれを追認しているというようなこともわかっています。
そうして起きていることは、ある意味、ある程度、かなりコントロール外である可能性があるのです。
だとしたら、もうその状態をどれだけ愛せるか。どれだけ、「それ」と共に居られるか。
ここのレジリエンスが大切になってくる。
そして、ナシーム・タレブ言う所の「半脆弱」(Antifragile)、つまり、強いとは耐久性があるということではなく、ストレスやランダムネスを吸収して、成長してしまうことであると。
そんな、起きていることとただ共にいること、弱さもOKとしてしまえる強さが、めっちゃ美しくてかっこいいなと思うんですよね。
それが、判断しない、メタ認知的「気づき」の立場であり、意識であり、愛であると。
今のその状態に自分が嘘をつかない。
調子が悪くても、「悪くないよ」とかいって、強がらない。
「ああ、調子が悪いんだな~」と正直になります。
それがヨーガを体験するにあたり、とっても大切な要素。
まさに「気づき」そのもの。
後述しますが、「サティヤ」で、「気づき」の立場に立つと、いろんなことがおきます。
例えば、マインドがあることやないことを作って、自分を苦しめなくなる。
だいたい、マインドというのは自分を守りたいから、本当のところよりも悪いストーリーを作り、巧妙にあたかもあるかのように「現実」として、自分に見せてきます。
「あぶないから近づくな」とね。
マインドの優しさでもあるんですが、これがまた暴走するとちょっと厄介(いや、結構厄介ww)。
事前にリスクを想定するから、それをヘッジして生きながらえることができるんですね。
結局自分を守ろうとしてくれているのだけど、性質がネガティブなもんだから、あることないこと出してくる。
人間って、未知なものって怖いじゃないですか。
だから観ないことは未知なものを残すことだから怖くて不安になる。
でも観ると、それがただ起きていることなのだから、「ああ、こんなものか」と、マインドが納得してストーリーを作るのをやめます。
なので、観ないより観た方がいい。
この辺りは、ヴィパッサナー瞑想のラベリングによる心の不必要な展開を止めるのと似てますね。
先ほど書いたように、サティヤの状態でいわゆる「気づき」が起きると、大きな変容がもたらされます。
なぜそうなるのか?
そのメカニズムはこうです。
「気づき」とは、単純に「意識にあげる」こと。
ただ、それだけです。
逆にシンプルすぎて難しいのかも。
意識にあげる、つまり、「気づく」ことで、脳内では、その気づき対象に関する「情報化」が行われます
こうなったら、もうここからは脳のお得意分野。
脳はその情報を「最適化」します。
どのように最適化されるかというと、あなたの夢・ゴールが叶う方向で心と体に変わって行く。
つまり、夢を持ち、集中して意識にあげるだけで成功脳へと変えて行くことができるのです。
夢を持ってなくても、先天的に持ってるゴールがあるので、それはそれで大丈夫です。
(もちろん、あったほうがいいのは間違いないし、ゴール設定は非常に大切な要素です)
そうして、変容が起きる。
また、サティヤの状態だと、これは体験しないとわからないことですが、本当の自分に触れるということは、自分のいのちに触れるということですから、すっごい豊かです。すっごいうれしいことです。
これが自分なんだなあというやさしい、あったかい気持ちになります。
言葉であえていうと、「ああ、そうなんだね。自分はこう感じているんだね。それでいいんだよ。」という感じ。
サティヤの実践。
自分に正直でいること。
自分をちゃんと観てあげる。
知ってあげる。
あなたに一番近いあなたたがあなたに正直になってあげなくて、どうするんですか!?
「そう感じているんだね。そう思っているんだね。そう考えているんだね」と。
自分に積極的に関わり合うかっこいい生き方だなあと思います。