masayoga column

「瞑想家」の生き方、その状態について(ver.2018.02.13)

「瞑想家」の生き方、その状態について(ver.2018.02.13)

以前書いた「瞑想家」の生き方やその状態について書き起こしたものを、更新しました。
一つひとつの項目の裏には裏付けと大きな情報空間があります。
また一つひとつ解説できる機会が持てたらいいなあと思います。

瞑想やヨーガを実践される、みなさんのお役に立つものとって有益なものであれば、活用してもらえたらと思います。

こんなところが瞑想家として目指すところかと思います。
よかったら、ご一読ください。

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「瞑想家」の生き方、その状態について

トランス(変性意識状態)が深く、冷静な状態が常である。
これにより、物理場よりあらゆる可能世界へ臨場感を移すことができ、自由に情報空間を移動できる。

仮にどんな精神状態でも、それと同化しない。
その精神状態は単なるイベントであると理解し、静かで俯瞰した「気づき」の視座を持ち、高い意識力(penetration)によって、その状態の浄化がすぐに起きる。
 
情動が反応的に起こることが比較的少なく、冷たい人間だと思われがちであるが、人間を人間たらしめる前頭前野の情報処理が優位であるためである。
前頭前野の情報処理が優位ということは、大脳辺縁系の支配を受けることが少ないため、理知的思考をし、集中している状態が基本的常であり、IQが高い状態が保たれている。

身体がかなり鍛えられており、過負荷の運動によって脳が明晰な状態である。
しかも筋活性によって、圧倒的な筋出力を持つ。
であるがゆえに、瞑想姿勢をとるにも、日常生活を送るにも身体的余裕があり、脱力しており、また生きているだけで無秩序から秩序へとエントロピーと反対方向に情報及びエネルギーをまとめ上げることができて、余剰エネルギーが生きているだけで蓄積され、元気な状態である。

ランダムネスこそがブラックスワン的に飛躍して成長・進化し続けるのに必要であることを理知的・経験値的に理解しており、常に反脆くあり、リスクやランダムネスを歓迎する。

有限的に各関連学問に曹司が深く、瞑想を数理科学、物理学、神経科学、認知科学などを用いて、横断的に説明ができる。

瞑想状態が体にアンカリングされているので、自分のステートコントロールが自在である。体の不調でさえも、意識による情報空間操作によって、比較的早く解決できる。
いつでも「ゴール」「夢」「ドリーム」からエネルギーを取り出すことができ、日頃のバイタル値が圧倒的に高い、故に仕事でも何でもパフォーマンスを高く維持できる。

抽象度の低い意味論に引っ張られることなく、抽象度の高い統語論(構造)を見ることが基本である。
であるがゆえに、情報に引っ張られて情動が動くようなことはなく、問題解決能力が高い。
そして、その全体と局所を自由に行き来できる。

情報空間と物理空間の境目がほぼなく、全てが脳の表現であると理解している。
そして、この世界が幻想であるということがわかっているが、しかし、この世界での問題解決に真っ向から取り組んでいる。
低い抽象度の物理世界(もう決まってしまっている、いわば「色」(しき)の世界)の束縛から解放され、全てが潜在エネルギーが圧倒的に高く抽象度階層が最も高いいわば「空」(くう)の状態)から始まっていると知っている。

であるがゆえに、全てが可能性であり、それによって未来を切り開いていけるということがわかっている。
心の使い方・あり方によって、世界創造がなされていると知っている「創造者意識」でいて、自分で創造しているわけなので、人のせいにする生き方をしていない。

その「自由意志」があるということの前提条件の中、実際、物理世界ではタイムラグあるものの、世界創造を自由にすることができている。
自分の中で問題と見えていることが、自分の進化と成長に必要だったな贈り物だったとわかって、それが感謝の対象となっている。

今「問題」であることも、意識周波数上昇によって、今後、問題でなくなることを経験的に「知って」いるから、エッジにいることが大切で、エッジにいることがコンフォートゾーンになっている。そして、どっしりと安心していて、それから逃げず、向き合い、そこからさらに進化・成長している。

であるがゆえに、存在のみで周りの人の意識周波数も上がり、存在のみで周りの人の問題を解決・解消していて、また経験があるがゆえに、周りの人の問題の解決方法がわかり、それで絶妙な導きによって、周りの人の問題解決と解消の役に立っている。
そして、その中で生きることそのものの素晴らしさに感動して、生きているだけで十分とわかっている。

ゴール設定によるインスピレーションを原動力として生きている、努力を必要としない。
したいからしている境地。であるがゆえに、自分がいない。
つまり、無我の境地を知っていて、であるがゆえに、生かされていることを知っている。
周りの人たちのように見える人たちの喜びが「自分」の喜びで、人類の全体としての進化に貢献し、ソリューションの担い手となっている。

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