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「masa-yoga流 ヨーガ・スートラ概説」

「masa-yoga流 ヨーガ・スートラ概説」


さあ、今回は、「ヨーガ・スートラ」の解説を軽く行います。

「ヨーガ・スートラ」といえば、「インド六派哲学」(サーンキヤ学派,ヨーガ学派,ミーマーンサー学派, バイシェーシカ学派,ニヤーヤ学派,ヴェーダンタ学派)の中でも、精神修養の実践に重きをおいた、「ヨーガ学派」の根本経典として有名で、ヨガ業界では、ある意味バイブル敵扱いを受けるような経典になります。
そして、「ヨーガ・スートラ」世界観の土台は、以下の二つに修練されると言っていいでしょう。
(1)多元的二元論
(2)実在論(因中有果論)

これを簡単に説明すると、それぞれ、「プルシャ(真我)」は無数にあり(多元的)、世界の根本因は2つに分けられる(二元論)、その二つとはここでは、「プルシャ(真我)」「プラクリティ(自性)」である。

また、因中有果論とは、全ての結果はそれが生じる前に、既に質量因の中に何らかの形で予定されたものとして存る、因の中に含意されているという考え方。
こうした世の中の捉え方は、量子論や数理科学などの現代科学や学問では否定される世界観であって、そういう意味では、現代においては、ヨーガ・スートラの世界観は「宗教」によるものであると言っていいでしょう。
つまり、神学を学ぶと同様に、ヨーガ・スートラの世界観を受け入れるには、信仰が必要なのです。

よくヨーガ・スートラは宗教色を一切排除していると主張する方がいますが、完全に間違いです。
例えば、浄土教では浄土があるというのは、宗教観であり、同じようにプルシャが実在するというのは宗教観なのです。
しかし、だからと言って、それが全部間違っているとか、自分には意味がないと主張するのもどうかなと思います。
どんな宗教的世界観を採用するかどうかは憲法第20条「信教の自由」で保障されていますし、各個人の信条によりますから、それは各個人に委ねるにして、ヨーガ・スートラには、そうであっても、そうでなくても、思いっきりヨーガ・瞑想・人生をさらに豊かにしてくれる要素が満載なのです。

 

それは3つの理由から。
1つ目。

あらゆるパラダイムは、常にその「系」の中において不確定性原理が働き、系そのものの中に矛盾を抱える運命にあります。
よって、現代の最新の各パラダイムもそのうち終焉を迎えることが予想できます。

観測問題や波動関数で有名な量子論において、縁起をもたずともそれが実在するという実在論が否定されるということは、もう疑いのないような事実であると捉えられるし、縁を結ぶからそれが存在することができるという「縁起」論を唱えた(とされている)釈尊に拍手を送り続けたい気持ちはボクもそうだしわかりますが、それもそのうち終焉を迎える運命にあるかもしれないのです(あくまでもしかしたらですが)。
よって、多元的二元論と実在論が正しいとされる時代が来るかもしれない(いやー、正直ないなww。でも、、)。これはこの小さくてエントロピーの拡大してしまった脳では到達しえない知の境地ですが、その可能性はあると言えるのです。

(「科学革命の構造」、パラダイム論で有名なトーマス・クーン氏)
2つ目。
脳は「在る」と信じた完全情報的な「世界」を自分の前に顕現させます。つまり、実態を持つものでないものを在るように見せてくる
そして、それが、その人の主観的「現実」であり、それはその人にとっては「存在」しているのです。


(月の裏にいていいユニコーン)

ある意味で、これが密教の本質であり、それを積極的に作り上げることが、エントロピーを下げ、素晴らしい世界を作り上げるのに非常に有効であると見ることができるからです。
それがある意味、新しい実在論者と言われるマルクス・ガブリエル「世界は存在しない、しかしそれ以外の全ては存在する」という有名なセンテンスの本質的意味でもあります。
つまり、世界(=完全情報であり、全ての情報)とは縁起を持てないからそれは存在せず、もし月の裏にいるユニコーンという概念と縁起を持てるならばそれは存在すると言っていいということですね。
そして、それを使って積極的に人生を作る姿勢こそ、現代に必要な積極的姿勢であると考えています。


(マルクス・ガブリエル博士)

ちなみに、未来予想は「大数の法則」によって、ある程度可能です。
歴史は繰り返すのです。
ひとつの事物がどうなるかは、その一回の確率的分布の予想になり、難しいですが、帰納法的な感覚と言っていいと思いますが、これまで繰り返してきたことは繰り返すのです。
サイコロの目がどう出るかは、1万回触れば、大体予測可能なのです(1/6の確率で1が出る)。

3つ目

であるが故に、自分で世界は創ることが出来るのです。

そして、過去に数多くのヨギーたちが必死に瞑想してたどり着いた境地を、彼らのパラダイムの中ですが、現してくれているのがヨーガ・スートラ。
少なくとも、自分たちの抽象度よりは(正確には、少なくともボクの)上であると思われます。
その抽象度エネルギーを使わない手はないのです。
昔から今に至るまで人間はまっすぐ進歩してきたという進歩史観で見ると、昔の方がバカ(こら!言葉が悪い!)に見えてしまいますが、そんなことはない。
ヨーガ・スートラを否定することは、彼らが積み重ねてきた努力からのポテンシャルエネルギーを捨てるような愚行なのです。

ちなみにそういう意味においては、ヨーガ・スートラは、密教であるということができます。
アカデミアの方からは怒られるでしょうが、そうですよね。
だって、無い世界を想定して、在ることにしているわけですから
でも、それを「存在」させれば、その果実を手にすることができる。
こんなに美味しいことはないわけです。
余談ですが、そういう意味において、密教を最初に始めたのは誰でしょう?
ボクのメルマガの読者のみなさんなら、すぐに答えられますね。
そう、「ホモ・サピエンス」です。
彼らは、ないものに対して、名指しし、機能と実態の形態を与え、それを存在させるという意味での虚構、架空のものを創ることができたわけですから。
これは、密教以外の何者でもないわけです。
ということで、ヨーガ・スートラからたくさんの知性をいただいて、エントロピーをどんどん下げていきましょう!
さて、ヨーガ・スートラ自体は、かなり長い間かけて作られてきたものです。
かの有名な文典家、「パタンジャリ」の作とされていますが、それは違うというのが現在の一般的見解です。

(パタンジャリ像)

まず、パタンジャリは、紀元前2世紀ごろの人であり、ヨーガ・スートラには西暦に入ってからの内容が含まれ、またその成立も紀元後5世紀くらいの成立とみられるため、そこが全くの整合をみないのです(パタンジャリくらいになると、700年くらい生きたのかもしれませんがwww)。
また、用語の不一致や概念的内容の不一致、また仏教からの影響がみられるなど、いろんな要素を含んでいます。

よって、パタンジャリが最初にその骨子(主に「八支則」)を作り上げ、それらなどに関して、いろんな人がそれぞれの体験をもとに様々な文章を記し、それを最終的に「えいや!」でまとめた感が満載なのです。

「八支則」とは、ヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)・アーサナ(坐法)・プラーナヤーマ(調気法)・プラティヤハーラ(制感)・ダーラナ(凝念)・ディヤーナ(静慮)・サマーディ(三昧)ですね。

そういう意味では、ヨーガ・スートラは、まず最初の定義(第一章二項)などの超重要ポイントは押さえておくとしても、まず第二章二十八項から第三章七項までの「八支則」を先に読んで修業階梯の全体像を掴み、そこから、それに枝付けしていくように他のヴァースを見ていけば、ヨーガ・スートラの全体マップが手に入って読みやすくなります。
最初から順番に読んでいくようなものではないと考えています。
例えば、
・有想三昧・夢想三昧(第一章十七項から第一章二十項まで)、有種子三昧・無種子三昧(第一章四十一項から第一章五十一項まで)は、「三昧」の説明。
・クリヤヨーガ(第二章一項と第二章二項)は、勧戒の中の、タパス(苦行)・スヴァディヤーヤ(読誦)・イーシュワラプラニダーナ(自在神祈念)をどのようにするかの解説。
・心の清澄を得る方法(第一章三十三項から第一章四十項まで)は、勧戒のサウチャ(清浄)を詳しく説明したもの。
だったりします。
しかし、誰がまとめんたんですかねえ。
誰も名前を残してないんでね。「せめてお名前を〜!!」という気持ちになります。
さあ、今回は、ヨーガ・スートラの各ヴァースの解説というより、全体の世界観を学問的に見るとどういうことになるかという感覚でつらつらと、でも、わかりやすく書いてみたいと思います。
(いやー、とはいえ、書きたいですね〜。真我は時間と空間の縛りを受けないという解釈も、ある意味、ゴール理論的観点からも説明できますし、内分泌系の観点からも考察できますし、また、熱力学の観点からも説明できます。というわけでちょっとだけ引用して、書きますねww)
masa-yogaの、ヨーガ・スートラの講義においては、さまざまな学問を使って紐解いていきます。
絶対にふわっとさせません。

例えば、第1章3項である、「心の働きが死滅された時には、純粋観照者たる真我は自己本来の体にとどまることになる」というヴァース。
ここでは真我(プルシャ)は、とある解説では、アプリオリ的に実在する絶対的な観照意識で、時間と空間の影響を受けないとされます。

つまり、時間と空間を超えた存在である。
そうなれば、心の働きを止滅した状態を作り出すことができる。
ここには、相対性理論を持ってきたいところではありますが、長くなるので、割愛します。
ある意味、絶対時間と絶対空間の否定をした相対性理論を持ってくれば、時間はないということはそれだけで事足りるとは思いますが。

そして、その時間超越をするところ、その下の次元となる物理世界を自由にできる。
つまり、そこではプラクリティを自由に操ることができる。
そして、「真我独存」(カイヴァリヤ)の境地に至ります。
つまり、ヨーガの完成なのです。
これをふわっとやってしまうと、何も理解できない。
時間と空間を超える方法とはどのようにすればいいのか?

これは、熱力学を使うことではっきりと理解できます。
どうするかというと、エントロピーを低くするのです。
それで、超えることができる。
宗教色を一切排除して、ヨーガ・スートラの全体像を解説してみたいと思います。
「エントロピー」とは、熱力学第二法則で示されるもので、「秩序は必ず無秩序に向かう」という法則。
つまり、エネルギーは散逸する方向にいくものであるということ。
これはもう当たり前すぎるような法則として認識されています。

そして、この無秩序を秩序に向かわせることができれば、時間を超越したといってもいいのです。

エントロピーが高くなると、つまり、エネルギーが散逸すると、無秩序に向かい、エントロピーが低くなると、秩序に戻ります。
そのエントロピーを低くさせるのが、「マクスウェルの魔」であり、それは可能であると2010年に東大などの研究で証明されているのです。
つまり、この項目は、熱力学を使って説明できるのです。

「サーンキャ哲学」では、プラクリティがプルシャと出会ったことで、グナの均衡が崩れて、未顕現が顕現して、世界が展開したと主張します
これはある意味、エネルギーの散逸状態、エントロピーが高くなった状態(無秩序)と取ることができます

そして、ヨーガが何をしようとしているかというと、このエントロピーを低くする行いなのです。
つまり、もう一度、秩序立てていくのです。

それが、ヨーガ・スートラの示す、ヨーガの定義、「心のはたらきの止滅」(citta-vr̥tti-nirodhaḥ)なのです。
それがわかれば、一体どうすれば、いいかがわかります。

つまり、系統立てて、知識を整理して、秩序を戻し、エントロピーを極限まで下げることなのです。
ヨーガが目指すエントロピーが低い状態は秩序立っている状態です。
それは、整理整頓されている状態。ヨーガ・スートラ的にいうと、グナの平衡がまた保たれている状態なのです。

その状態は、エネルギーを取り出しやすい状態なのです。
こうすると、私たちの日常生活とも関連づけられます。

本棚で例えると、わかりやすいかもしれません。
ぐちゃぐちゃの本棚だと、そこからエネルギーは取り出しにくいですよね?どこに何があるのか、わからないんですから。
でも、整理されている(秩序立っている、エントロピーが低い)と、どこに何があるかが一目瞭然ですから、エネルギーを取り出しやすい。
その状態にもう一度、戻そうと言っているとも捉えることができます。


(どこに何があるかわからないとエネルギーを取り出せない)

ここで「マクスウェルの手紙」を見てみましょう(「ユーザーイリュージョン」より)。

「エネルギーの散逸という概念は、我々の知識の程度しだいということになる。取り出せるエネルギーとは、望ましい経路ならどんなものにでも導くことのできるエネルギーだ。散逸したエネルギーとは、手に入れることも、意のままに導くこともできないエネルギーで、たとえば、 我々が熱と呼ぶ、分子の混沌とした運動状態がそれにあたる。ところで、この混沌とは、相関名辞と同様、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される。」


ユーザーイリュージョン―意識という幻想」トール ノーレットランダーシュ(著)

ここでマクスウェルが言っているのは、こういうことです。

これをヨーガ・スートラ的に書き直してみます。
「そのエネルギーの散逸、つまり、エントロピーが増大して、プラクリティが顕現し、広がってしまっている状態という概念は、我々の知識の程度によって何とでも変えることができる。この逆に、エントロピーが低く、真我独存の場合にあるときには、どんなものにも使えるようなエネルギーが手に入るということである。プラクリティが広がってしまい、もうどうしようもないような世界が広がっているような状態に見えるかもしれない。しかし、この混沌状態は、それがもう、そのようにあってその属性そのものであり、動かせないように見えるかもしれない。しかし、それは、それを認識する心のあり方次第なのである」
ということなのです。
だからこそ、心の働きを止滅させることによって、散らかった心を整理整頓し、それを認識する心のあり方を整えるのです(つまり、抽象度を上げるのです)。
不必要な心の働きが止滅し、抽象度が高い(エントロピーが低い)心を持つ人は、無秩序の中に秩序を見出して、そこからエネルギーを取り出すことができる。
そして、一見無秩序に見えることがあまりにも整合が取れていることに驚嘆し、どんどん行動していきます。


不必要な心の働きが暴れてしまって、抽象度が低い(エントロピーが高い)心を持つ人は、無秩序が無秩序に見えてしまい、そこからエネルギーを取り出すことができない。

そして、一見無秩序に見えることががあまりにもランダムであり、どうしていいかわからないと立ち止まってしまいます。
よって、前者の方が人生で成功するのです。
いかがでしょうか?
ヨーガ・スートラの現代的な解釈の一つとしての世界観がわかってきたでしょうか?
日常生活の中で、心を静かにし、取り散らかった(エントロピーの高い)状態から、秩序だった(エントロピーの低い)状態に持っていくこと自体が、ヨーガ・スートラが求めていることであり、人生をシンプルにして、そこで高いエネルギーを引き出して、生きる。
それをまた大乗的な考えを付け加えるならば、人のために使って、人の幸せに貢献すること。

そんなことをヨーガ・スートラは私たちに要請していると考えると、現代にヨーガ・スートラをしっかりと活かせるのではないかと考えています。
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