masayoga column

「どんどん進化しよう!」

「どんどん進化しよう!」

今回は、「進化」することについて書きます。

前にSNSで書いたように、
ボクの中で「進化」の定義は、
「二項対立がアウフヘーベンし、視座(抽象度)が上がること」
としています。

言い換えれば、
「問題だったことが、問題じゃなくなること」
と同じ。

実は人生の中でこの「進化」こそが最も重要なことなのではないかと思います。
実は相反するように見える「A」と「B」ということが同じものだということがわかるだけで、その間の葛藤が消える。

自分の中の喧嘩が葛藤で、人との間の葛藤が喧嘩を生み、国家間の喧嘩は戦争と言います。
そして、喧嘩や戦争まで超越してしまう力がこの「進化」はあると思うんです。

また、ヨガって、まさにこの「進化」のためにあるし、これこそが人生の楽しみだなあと思うのです。

もしかしたら、この進化そのものが人類の求めてやまないことなのかもしれません。
なので、この根本的な、イシューについて今回は、なるべく長くならないように書きたいと思います。
何かに到達すること。
それはそれで楽しいことですが、到達してしまったら、そこでThe End of the Gameになります。
クリスマスでサンタさんが来るという設定のお家の場合、12月24日の夜の方が、12月25日の朝より、ワクワクしてませんでしたか?
同じように、それが来るまでがやはり楽しみなわけであって、ある意味この進化の過程がとても楽しいものだと思うのですよ。
そして、この進化には、普通の人である限り終わりはありません。
抽象度の最高位である「空」にたどり着いてしまったら、それは進化の終わりになりますが、釈尊でもない限り、なかなかそれは難しいことのように思われます。
(って、括っちゃわないほうがいいですね。みんな頑張って「空」に辿り着いてくださいね!なんてww)
なので、進化することは、ずっとワクワクする過程でなんですね。
さて、「純粋理性批判」などで有名なカントは、人などが知覚・認識する前の存在の原形を「モノ自体」(thing itself)と規定し、それは人間が認識した時点でもうそれとはかけ離れて認識されているため、それは到底知り得得ないモノであると主張します。そして一様で普遍的な真理の存在を否定し、「真理は人間によって規定される」というコペルニクス的転回をもたらしました。

(この辺り、仏道の「空」っぽいテイストだなあと感じますが、決定的な違いもあります。この辺りはまた別の機会に論じます)

そうして人間にとっての真理の存在を明らかにしたはしたのですが、それに近く方法は示すことは明らかにしませんでした。
そこで出てきたのが鬼才ヘーゲル です。
ヘーゲルは「弁証法」を持って真理に近づけるとしました。
弁証法とは、ある主張Aがあり、それには必ず反論Bがある。
ならば、そのAとBの両方を満たすようなCを見出せば、そのCはAもみたし、Bも満たすわけなので、より普遍的真理に近いわけです。
こうして階梯を登っていくことによって、真理に近づけると主張しました。
このAのことを「定立」、Bのことを「反定立」、Cのことを「綜合定立」と言います。
また別にも「正」・「反」・「合」と言ったりもします。
そして、この定立と反定立を総合定立に持っていくことを、「止揚」(アウフヘーベン)と言います。
こうして、どんどんアウフヘーベンして行って、二項対立を減らしていくと、物事の囚われが減っていくわけですね。
囚われとは、人が□に入っている様を表し、不自由であることを意味しています。
なので、要はアウフヘーベンして箱から出ろ!ということですね。
(実際は、箱があっても問題ないというのが、本来の解消であると思っています)
(ちなみに、このヘーゲルの影響を受けながら、この主張に反定立を持ち出したのが、デンマーク出身のキルケゴールです。彼ははその真理に到達できるのがいつかわからないようなものならばそれは真理ではなく、今自分にとって真実であるものを真実とすることを主張しました)

こんなふうに自分を苦しめている信条的な「定立」に対して、それは間違っているという「反定立」を打ち立て、自己問答する中で、アウフヘーベンさせ、そして、抽象度の高い「綜合定立」を見出して開放されていく作業が、顕教的な瞑想の一つのやり方とmasa-yogaでは、系統立てています。

例えば、「自分は優柔不断であり、それはダメなことだ」という「定立」があるとして、それは間違いである「反定立」を打ち立てます。それを自己内対話でアウフヘーベンさせるのです。
例えばですが、「優柔不断である」ということは、言い換えると、「慎重である」ということになります。
慎重であることがあるが故にあるメリットは数知れずあることでしょう。
今までの人生の成功は慎重であったがゆえであることも多いでしょうし、今の家族やパートナーや友人関係も慎重であったがゆえに得られているなど、反定立も正しいということになります。
そうすると、優柔不断ということを言うとダメに聞こえるかもしれないけど、それは慎重とも言い換えられ、ならばそれにはメリットもあるから、「定立」も「反定立」も正しいとアウフヘーベンします。
そうすると、そのままでいいとなり、解放が起きるのです。
しかも、実際、こう言う解放が起きると、優柔不断であることに許可が降りて、優柔不断でなくなったりします。
自分がそれをダメだとしていて、それがデフォルトと思い込んでいて、それにしがみついてしまっているのですね。
だけど、いいかあと思うと、そのしがみつきが外れて、それが無くなったりするのです。
少なくとも、苦しむことはないですね。
また、前に書いたように、
例えば、
「とんでもない逆境に遭う」
ということは、近視眼的には、「良くないこと(「A」)」のように見えるかもしれません。

つまり、
「とんでもない逆境に遭う」=「良くないこと(「A」)」
という方程式が、あるのですね。

でも、実はそれが往々にして人生のビッグチャンスであることはよく言われています。
それがあるから人生が好転した人を何人も見ているし、過去の自分もそういうことは何度もありました。

つまり、その際には
「とんでもない逆境に遭う」=「良いこと(「B」)」
という方程式が成り立ちます。

よって、三段論法で、「A」=「B」となり、
「とんでもない逆境に遭う」ということは、問題でもなんでもなくなるということですね。
これが、「進化」です。

そして、その進化の究極形が、仏法でいうところの「空」(くう)なのです。

「空」とは、こう経典に出てきます。

「いかなるものも恒久不変かつ独立した実相を欠く」と。

全てのものは、移りゆくものであり(恒久不変でない)、それがそれ単体でそうであるということはなく(独立してない)、必ず関係性の中にそれがあり、関係性は二つの存在あって成り立つ。そのどちらかがなければその関係性はないため、どちらかがあるからそれが存在できると言う条件節がある以上、その物事の存在の絶対性はないのだということです。
 

また、「存在論的」な説明をするならば、空というのは限りなく情報量が軽く抽象度の最も高い概念です。
「有」と「無」の包摂概念と申しましょうか。

普通にみたら、「有」と「無」は反対のことを言っているように見えます。

また、これも「正・反」ですよね。
これをアウフヘーベンさせてみましょう。

コップの中に水がなみなみと入っていたら(有)、もう入ることができない(無)。
だけど、コップの中が空っぽ(無)だということは、そこにはなんでも入れていいというポテンシャルエネルギーが最大に存在する(有)。
 

 
よって、「有」と「無」は同値であり、それを「空」として表している。
「空」とは非常にダイナミックな感覚であり、可能性やエネルギーに溢れた状況なのです。

しかし、ご存知のように、もちろんこれは言葉で表している以上、もうその時点で違います。
なぜなら、「空」とは言語表現の抽象度を超えたところにあるため、言語表現をしてしまうともうそれでなくなってしまうのです。
釈尊が「無記」と言ったり、禅で「不立文字」としてこれを表しているのもよくわかります。

また、「空」を大成した「ナーガールジュナ」(龍樹)は、その主著である「中論」において、こう記しています。

「(宇宙においては)何ものも消滅することなく(不滅)、何ものもあらたに生じることなく(不生)、 何ものも終末あることなく(不断)、なにものも常恒であることなく(不常)、何ものもそれ自身と 同一であることなく(不一義)、何ものもそれ自身において分かたれた別のものであることもなく(不異義)、何ものも[われらに向かって]来ることもなく(不来)、[われらから]去ることもない(不出)、戯論(形而上学的論議)の消滅というめでたい縁起のことわりを説きたもうた仏を、もろもろの説法者のうちでの最も勝れた人として敬礼する。

つまり、「空」は、否定辞でしか表せないということなのです。
言語表現してしまったもの(ここでいう「戯論」(けろん)です)の消滅はめでたいとまで書いています(そこまで言わんでええやんって正直思いますがwww)。
真理は言葉では表せないのですね。概念化した瞬間に相対化されてしまう。

つまり、物事の存在の絶対性、実在性を真っ向から否定し、そこに真理を説いたのが、釈尊なのです。

いずれにせよ、そうしたアウフヘーベンし尽くした究極が「空」なのです。
そして、どの階層までアウフヘーベンさせて進化したかによって、あなたの開放度や世界の広さが決まります(抽象度が高くなるからです)。
そして、抽象度が高い人は、圧倒的なヒーラーやヨガ・瞑想ティーチャーとなることができます
だって、人が問題と思っていることを、本気で何にも問題と思ってないんですから。
そんな人といたら、それを問題と思っている自分がアホらしくなってきますよね。

こんなふうに、いろんなところで結構、共通項が見えると面白いものですし、
本当に「相反するもののように見えることが、実は同じことだったりする」
これがわかるだけで人生は、ガラッと変わりますね。

まずそのためにも、自己内対話をして、また知識をつけて、抽象度を上げていくことです。
どんどんアウフヘーベンさせて、「空」に近づいて、圧倒的なヒーリングを人にできるようになりましょう。
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