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masayoga column
愛するものを守りたいからこそ、守りに入らない ~進化する生き方~
これは、何がいい何が良くない、何が幸せ何がそうでないというのは、ある程度の抽象度の低い概念レベルのものであるならば、それはないという前提での話です。
簡単に言うと、これがあるから幸せ、ないから不幸せという二項対立的な世界においての、絶対的幸福というのは、「絶対」ではない。なぜなら、相対して初めて存在できるから。
だから、その水準での幸せというのはみんなそれぞれで、それでいいということです。
それ前提での話。
前は、ボクはいつか落ち着くのだろうと思ってました。
それが人としての幸せだと思ってた。
だけど、いつまでたってもそうならない。
そして、価値論や目的論でいえば、現実化していること、もうそこに起きていることが自分の価値観や行動目的の反映であり、それを知り、最高価値に生きることによって、コヒーレント状態になり、周波数高い「愛」の状態で生きることができる。
それを模索していくと、前に書いたように、ボクの恒常的な性質は常に動いていること。
言いかえれば、常に動いていることが、ボクの幸せ。
落ち着くことではなかった。
言い換えれば、「動いていることが、ボクの安定」。
これを、師匠は「動的平衡」と言い表してくれました。
今回は、これをさらに発展させて、「守りに入らない生き方」について書いてみたいと思います。
ボクは、愛する人を本当の意味で守りたいから、守りに入りません。
「守りに入らない」=「進化」
としましょう。
そして
「現状の最適化は退化である」
現状の自分が考えるこうなったらいいなあということをすることを「現状の最適化」と言います。
でも、それは「退化」であると。師匠も有名な学者さんも言います。
なぜか?
今の「自分」は過去の自分についての印象や私とはこういう人だろうという概念の集積体。
その「自分」がこうなるかなあと考えても、あくまでそれは過去の自分をぐるぐるするだけ、これまでの既存の情報空間の中でうだうだしているだけで、何も「進化」しないということになります。
だから、常に「え~!?そんなの可能なの!?」ということにチャレンジして、既存枠をでないと「進化」にならない。
そして、「現状の最適化」はあくまで現状維持に過ぎず、人類の進化に寄与するものではない。自然は常に進化している、だけど人間が情報空間の中で作り上げた現状にしがみついていると、それから遅れる。だから、それは退化。
現代的拡大解釈すると、「ヨーガとは心の働きの止滅」というのも、ここにつながることかもしれません。
だから、一人ひとりが進化することがとても大切。
既存のパラダイムを出て、二項対立の周波数から脱しないと、戦争とかなくならない。
そして、愛するひとをやはり守りたい。
師匠、弟子、子供、仲間、生徒たち、などなどなど。
愛する人がたくさんいる。
そして、絶対に守りたい。
この時に、退化しているパラダイムでは、本当にスケールでっかくいないと守れないんです。
例えば、ある問題が起きていて、それは今の既存パラダイムの中で、そのように問題である。
それを問題とする情報空間のレベルで生きているから問題である。
その問題を問題と見る意識状態では、その問題は解決しない。
その問題の解決のためには、観点の上昇、意識進化、つまり抽象度の上がった進化した視点が必要である。
愛する人に、絶対的な安心感を与えることができるようになるために。
常に快適ゾーンを出て、チャレンジして、既存パラダイムを打ち破り、抽象度高いところのエネルギーにアクセスして、圧倒的に高い視点や広い視野で、その人を守る。
その視点と視野だからこそ、圧倒的な包容力で愛するものを守ることができる。
この時に初めて、その人を本当の意味で守ることが可能だと感じます。
だから、ボクは守りに入りません。
人から「え~!!?そんなの無理だよ!」って言ってくれるのはありがたいけど、それに敬意を払って、進みます。
進化してこと、守りに入らないからこそ、愛する人を守ることができるから。
そして、この進化は人間の根本的喜びであるとも思います。