masayoga column

鏡の法則

鏡の法則

「鏡の法則」について。
ワクワク話満載ですから(おそらく(笑))、ちょっと長いですが、ぜひぜひ読んでみてください☆

(1)前提

ある人の言葉にこんなのがありました。
「人は自分を理解できる範囲を超えて、他人のことは理解できない」

人が嬉しそうにしている。あなたはその人を見ていて、「嬉しそうだな」と推測して見ます。
そして、嬉しそうだなと見ると、無意識に「うれしそうだから、こんな風に感じている」んだろうなと自分の中で、感覚が沸き起こりますね。
でも、その感覚は、自分の中でこれまでの人生の中で感じた「嬉しかった」の感覚の範囲においての感覚。
それを超えたものは、感じたことがないからわからない。

そういう意味でも、「人は自分を理解できる範囲を超えて、他人のことは理解できない」のですね。

ドリアンを食べたことのない人に(ボクもないです)、ドリアンのことを言葉で説明しても、(絶対に)正確には伝わらない。もしもしもし万が一、伝わったとしてもその人がどう感じるかは、その人の味覚から入ってきた情報処理(主観)によるものなので、絶対に一緒の体験にはならない。

あくまでも外の(ように見える)世界で、見えていることは、自分の内側で知っていることの範囲、つまり、自分という「閉鎖的意識空間」の世界で知っている範囲のみで理解している。感じていることは、自分自身。ということは、外の(ように見える)世界は、自分自身なんですね。

そして、自分の内側の状態によって、世界は変わる。
例えば、自己承認度合いが高く、めっちゃ調子いいときは、人の笑顔がたくさん見える。また、反対に、自己承認度合いが低く、めっちゃ調子わるい時は、なんだか苛(さいな)まれているように感じるかもしれません。

テレビはテレビの電波、そして、ラジオはラジオの電波周波数帯域しか受信できないように、私たちの意識も、その時の周波数帯域に応じて、受け取れるものが変わってくるんですね。そして、それが、起きる現象レベルまで影響を及ぼすことも多々ある。
例えば、人をサポートすることをたくさんしたら、やたら人が人をサポートしている場面に出くわしたり。

そういう意味でも、関心ごとのあること(自分にとって価値の高いこと)はたくさん気づきますが、関心ごとのないこと(自分にとって価値の低いことは)は、よく見落としていますね。同じ街を歩いても、みんな見てるものが全然違う。

(2)嫌な人は、あなたにあなたを愛する方法を教えてくれている

さて、とういことを前置きにしてこんなことを考えてみましょう。

目の前に嫌な人がいるとします。
また、目の前でなくても嫌だなあと思っている人がいるとします。

なぜ、その人を嫌だと思うのでしょうか。
それは、その人を見ると、その人が嫌な性質を有しているよう見えるからですね。
だけど、それは証明することは難しい。
あなたにはそのように見えてるかもしれないけど、実際そうかどうかは何かその性質の度合いを測る機械でもないとわかりません(でも、実際はすべての人が全ての性質を持っています。また別で言いたいと思いますが、それが宇宙の法則であって、愛そのものです)。

そして、なぜそれが見えるように見えるかというと、自分の中にそれがあるから。
その人を見てそうだろうと思うのは、自分の中に同じような性質があって、そうだろうと感じることができるから。

そして、なぜ嫌に思えるかというと、さらに自分の中に、その同じような性質を否定する、それはダメだぞ!こうあるべきだぞ!という固定観念があるから。
だから、その固定観念を持った自分が、周りにその同じような性質をもったように見える人がいると、その人のその部分を否定し、物申したくなるわけですね。

さらにいうと、その人に嫌悪感を抱くのは、実はその他人のその性質を嫌だと思っているんではないんです。
自分の中にその同じような性質があって、固定観念がダメだぞと言ってるから、自分自身の中で自作自演の戦いが起きていて、葛藤している。それが嫌で、気持ち悪くていい気分がしないから、その矛先を誰かに向けたくなる。そして、そのエネルギーがその他人に向けられて、「ほら、お前のせいで私が嫌で、気持ち悪くて、いい気分がしないじゃないか」といってるだけ。もし、自分の中でその性質があることを別に嫌だと思わなければ(つまり、自分のその性質があることに認め、受容が起き、OKが出れば)、ただそれがあるだけになる。

つまり、人を見て嫌悪感を抱くのは、自分の内側で二人の自分が喧嘩をしていて、それが気持ち悪く、それをその人のせいにしたいから。
その人がどうのこうのじゃないんです。
自分が自分のことを愛していないだけ。
それを人のせいにしているだけ。

そして、その抑圧している部分を愛するようになるまで、その(のようにみえる)人は現れ続けます。
その人がどうこうじゃなくて、自分の中での葛藤がそれを引き起こしているんだから。

ということは、その嫌なひとのように見える人は、自分の中で抑圧された自分自身を見せてくれている。
あなたがあなたの中で愛していないところを、教えてくれている。
だから、嫌な人がいたら、その人はあなた自身であり、その人は、あなたにあなたを愛する方法を教えてくれている。
とういことは、そうあってくれてありがとうってことですね☆

(3)あなた自身がすごいんです!!あなた自身がヒーローなんです!!

また、もう一つ。
あの人すごいな~って感じる人いますよね。ボクは、錦織選手、すごいな~って思います。
そういう時って、感動したり、わくわくしますね。

でも、同時にあんな風にはなれないな~なんて思ってたりしませんか?
つまり、その人はすごくて、自分は違う。あんな風にはなれないって思っちゃう。
言い換えれば、その人をすごいと思って、自分は違うって勘違いをするから、その人との比較の中では、自分で勝手に自分を下げちゃう。

でも、思い出してください。
自分の中にないものは外に見えないんです。
ということは、そのすごいな~と感じているその性質は、あなた自身の中にあるものなんです。

「でも、国際テニスプレーヤーには、今からはなれませんよ」っていうようなこと、頻繁に質問を受けます。
丁寧に感じてみてください。錦織選手をすごいと思うのは、国際テニスプレーヤーだからでしょうか?英語が喋れるからでしょうか?

多分、違うと思います。それを成し遂げた彼の性質に感動したり、すごいな~と感じているだと思います。
例えば、諦めない気持ちを持つこと、自分を信じていることとか。

それらは、あなたの中にある質なんです。自分が自分を信じていたり、諦めない質を持っているからこそ、それが見えて、それを承認することが自分の中で起きるから感動するんですね。
だから、周りにすごいな~って感じる人がいたら、自分の中にそれがあることを確かめてみてください。
これまでの人生でそういう性質を発揮したことを思い出してみてください。

同じ分だけどかっと一つじゃないかもしれない。分散して何度かに分けてかもしれないけど、あなたの中に総量としてあるその性質分だけ、そのすごいな~と感じる人の中に見ているんです。
すごいな~と感じる人は、あなたのすごいところを見せてくれているんですね☆
だから、思い切り、それを認めたらいいですよ。そうだと知ってあげてください。

<(4)まとめ>

鏡の法則をはっきりと理解すると、すべてのこと、すべての人が、自分を愛する方法を教えてくれていることがわかります。

あなたの中にないものは見えない。

あなたの周りの嫌な人はあなたが自分で抑圧している自分自身を見せてくれている。
その部分を愛したら、それが統合されて愛がわかる。

あなたの周りのすごい人はあなたの中にあるすごいところを示してくれている。
それを自分だと知って、あなた自身がすごいパワーを秘めていることを知ってあげてくださいね。

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