masayoga column

調和の真実

調和の真実

これいうのは、恥ずかしいのですが、ちょっとした実験をしてみました。

こないだあるところに行くのに運転してて、かなり急いでいました。
だけどそんな時に限って、割り込みの車が入ってきたり、信号がやたら赤になったりするように感じます。

そしたら、マインドがいろんなこと言ってる。
「もう~」とか「ボクの後ろ車いないじゃん~」とか。

そして、勝手にカチンと来ています(笑)
その日はそれが多かったので、実験をしてみました。

普通はカチンと来たら、マインドが自分でカチンと来てるのに、それに「あなたはヨガの先生なんだから」とか、なんかコメントしてます。
マインドは、自分でカチンと来て、自分で突っ込み入れてる(笑)
超面白くないですか?

そこでちょっと実験。
その後の方の「あなたはヨガの先生なんだから」というのをやめてもらいました。

つまり、マインドにどんなにカチンと来ても、それに「NO!」を出さずに「OK!」にしてもらったんです。
そしたら。。。。

割り込んできた人がいる。
マインドが判断してカチンと来てる。

その人がいてボクのマインドがカチンと来てる。
マインドが「カチンと来たらあかんよ」とNO!を出してるから、問題なだけ。
でも、カチンと来るのがOKだから、別に何の問題もない。

そのうち、それが面白くなってくる。

その人がいて、ボクのマインドがカチンと来てる。
その人がいてくれるから、カチンと言うことが起きてる。
いなかったら、それが起きない。

そのうち、それが豊かな体験となる。
その人が割り込んでくる。
そして、ボクのマインドがカチンと来ている。

「カチンと来てるぜ!生きてる~!ありがとう~!」みたいに豊かな体験☆
ちょっと変なやつ(笑)

でも、どんな状態でも、ボクらは四六時中、「調和」しているんです。
自分にとことん「OK」出すと、どんな状態でも調和する。

「不調和」とは、単に自分の中のマインドの自問自答による葛藤(自分の心の中の概念同士の対立によるヴァーチャルな不調和)があって、それがイライラするから、周りの性にしてそのように見ているのにすごない。「外との不調和は、自分自身との不調和の投影」にすぎない。
調和してないものなんてないんです。

「調和」について、どんな「概念」をお持ちですか?

・わかり合ってる。
・意見が合う。
・しっくり来る感じがする。
とかでしょうか?

でも、概念を通してみてしまうと、「調和」が観えなくなってしまいます。
調和とは「関わっていることそのもの」なのです。

人生で関わらないことは不可能。
ということは、あなたは四六時中、調和しっぱなし。

みなさんの見ているこの「現実」は、意識のスクリーン上に、マインドの中にある過去のいろんな経験からくる記憶をたぐり寄せたものが映し出されている。
つまりみなさんのマインドがその現実を作り出している。

そして、普通は、そのスクリーンに移っているものは、独立してそのように存在していて、それを見ているんだと疑わないかもしれません。
つまり、自分自身はその意識のスクリーンなんだけど、「自我」を含めた、その中味の方に注意が向いてしまい、そこに「同化」してしまっている。
スクリーンそのものに気づくことは難しいかもしれない。

それと同じように、関わっていて起きていることの中味に判断が生じて、それに対して「調和」に関する概念をかぶせて、「調和してる」とか「調和してない」ということが、「マインドの経験」として認知されているだけ。

「関わっている」以上、「調和」してないことはありえないのです。

それがわかるための第一歩は、「自分にOKを出すこと」。
とことんです。

10分ほどやってみてください。
カチンと来てもOK!むかついてもOK!せこいこと思ってもOK!
その人や事象との関わりがあるからそれが起きている。
それが起きていることが豊かなこと。
その関わりのおかげ。

マインドの世界では対立している人とも、「対立しているということで調和」している。
「仲がいい」のだけが「調和」ではない。
「対立」も「調和」の一体系。

それがわかってくると、調和も不調和もなく、ただそこには豊かな「関わり」のみがあるとわかってきます。
それがずっとある。
関わっている。

「あなたはずっと調和しています」

それがひとつの真実です。

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