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masayoga column
人生の豊かさの指標〜目的のない人間関係
人生で一番大切なことってなんでしょう?
これって人によって違うから、何とも定義づけはできないことですね。
でも、1つ言えること。
当たり前に聞こえるかもしれないけど、それは豊かな人間関係。
これはどんなものよりも大切なことだと思います。
ただただ、何の損得勘定もない人間関係。
何かのための人間関係、つまり目的のある人間関係でなくて
その人間関係自体が目的であるような関係性。
でも、当たり前すぎて、常套句並みの常識になってしまっている。
馬耳東風的に。
本当にそれを作ることができているのかどうか。
しっかりと腰を据えて自分のあり方から見ることができたら、さらに豊かな人生になると思いますので、今回はこれをテーマに書きたいと思います。
しっかりと腰を据えて自分のあり方から見ることができたら、さらに豊かな人生になると思いますので、今回はこれをテーマに書きたいと思います。
関連テーマとしては、以前こういうのも書きましたので、ご参考までに。
8/14のお盆に、高校の陸上部の仲間で集まって同窓会を開きました。
台風の影響があって、来れない人もいたりしたのですが、部の半分くらいのメンバーが集まれた。
台風の影響があって、来れない人もいたりしたのですが、部の半分くらいのメンバーが集まれた。
しかも、25年ぶりに集まったんです。
ぱっと見た目、全然変わってない人もいれば、一瞬「お前誰やねん!?」みたいな輩もいたりwww。
そんな中で、これだけ月日は流れて、共にいなかったのに、とにかく話は尽きない尽きない。
途中には、顧問の先生が陸上の試合風景を編集してくださって、メッセージまで添えてDVDで送ってくださったのをみんなで見ました。
突き上げるほどの感動が全身を覆い、感謝の気持ちでいっぱいでした。
突き上げるほどの感動が全身を覆い、感謝の気持ちでいっぱいでした。
ひたすらひたすら、楽しい時間だけがすぎあっという間に6時間がすぎ、終わった頃には0時を回っていました。
ご存知の方はご存知なのですが、ボクは二次会にいかない人で、時間管理を徹底しています。
でも、そんなことも完全に忘れて、ひたすらに楽しんでいる自分がいた。
でも、そんなことも完全に忘れて、ひたすらに楽しんでいる自分がいた。
大人のままに子供に戻っていた。
その時、気づいたのです。
「俺、都会に揉まれて、スレちゃってたな」と。
「俺、都会に揉まれて、スレちゃってたな」と。
大人になるにつれて、いろんな経験をし、世間に揉まれ、だけど人の支えの中で、ここまでやれてこれた。
そして、同時にこんなこと言うのは恥ずかしいのだけど、そう感じてしまったのです。
そして、同時にこんなこと言うのは恥ずかしいのだけど、そう感じてしまったのです。
でも、そんな状態から、高校の時の仲間が、元に戻してくれた。
ただただ、何の損得勘定もない人間関係。
あの頃のただただ笑いあってた、スコーンと爽やかな関係性。
ただただ、何の損得勘定もない人間関係。
あの頃のただただ笑いあってた、スコーンと爽やかな関係性。
何かのための人間関係、つまり目的のある人間関係でなくて
その人間関係自体が目的であるような関係性。
その人間関係自体が目的であるような関係性。
それが人生を豊かにしてくれる大きな要因なんだと。
もちろん、これまでも、生徒のみんなや仲間とそのものを自分なりに大切にしてきました。
だけど、やっぱちょっとスレてたなと気づいた。
だけど、やっぱちょっとスレてたなと気づいた。
8/14の夜は、それほどに強烈な豊かみと楽しさだったのです。
ちょっと逸れるかもしれませんが、サイモン・フレーザー大学の研究者ブルース・アレグサンダー博士による「ラットパーク実験」というのがあります。
これは、「薬物中毒は外部的要因が原因で引き起こされる」という仮説を証明したもの。
これは、「薬物中毒は外部的要因が原因で引き起こされる」という仮説を証明したもの。
たくさんの仲間がいる広々とした環境で生活するラットと、小さなゲージに閉じ込められたラットそれぞれに、普通の水とモルヒネに砂糖を混ぜた水の2種類を用意しておいておきます。
もちろん、モルヒネが入っている方が中毒作用が大きく、ドーパミンが出るため、そちらを選択しそうなものですが、仲間がいる環境にいるラットは、モルヒネ入りの水よりも普通の水の方を好んで飲むようになったというのです。
つまり、仲間といる方が幸せであるから、中毒作用に引きずられなくなったんですね。
これによって、「薬物中毒は外部的要因が原因で引き起こされる」ということが立証されたと言われています。
これによって、「薬物中毒は外部的要因が原因で引き起こされる」ということが立証されたと言われています。
中毒さえも関係性で乗り越えることができるというわけです。
というより、関係性の方が他の中毒よりよっぽど、いい意味で中毒性が高いということとも言えるでしょう。
というより、関係性の方が他の中毒よりよっぽど、いい意味で中毒性が高いということとも言えるでしょう。
以前、Facebookの投稿でこう書きました。
” 中毒の止め方。それを上回る中毒を見つけること。
お酒より次の日の体の軽さやヨガの気持ちよさに中毒になる。
お菓子より本当に美味しい食事の満足感に中毒になる。
それよりさらに気持ちよく、あなたのゴールを叶える中毒にシフトするのです。”
” 中毒の止め方。それを上回る中毒を見つけること。
お酒より次の日の体の軽さやヨガの気持ちよさに中毒になる。
お菓子より本当に美味しい食事の満足感に中毒になる。
それよりさらに気持ちよく、あなたのゴールを叶える中毒にシフトするのです。”
人間も同じことではないでしょうか?
何があっても、どんなに物質的に恵まれていても、豊かな人間関係なしにはその意味が減じられることでしょう。
何があっても、どんなに物質的に恵まれていても、豊かな人間関係なしにはその意味が減じられることでしょう。
全くとはもちろんいいません。
天才は孤独の中で偉業を成し遂げるという側面もありますから。どういう人生にしたいのかという選択肢ですね。
天才は孤独の中で偉業を成し遂げるという側面もありますから。どういう人生にしたいのかという選択肢ですね。
「最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる」by トーマス・エジソン
「天才は常に孤立して生まれ、孤独の運命を持つ」by ヘルマン・ヘッセ
「天才は常に孤立して生まれ、孤独の運命を持つ」by ヘルマン・ヘッセ
こういう議論も非常に共感することでもあります。
しかし、私はこうも主張したいのです(マルクス・ガブリエル風ww)。
バイタルな孤独が天才性を育むことがあったとしても、豊かな人間関係がある中で思い切り健康的にその孤独を楽しみ、創作を生み出す人生も1つ大きな幸せだと主張してもいいのではないかと。
バイタルな孤独が天才性を育むことがあったとしても、豊かな人間関係がある中で思い切り健康的にその孤独を楽しみ、創作を生み出す人生も1つ大きな幸せだと主張してもいいのではないかと。
では、本当に損得感情のないそれ自体が目的である人間関係をもつにはどうすればいいのでしょうか?
それは、簡単です。
それは、簡単です。
何だと思います?
何でしょう?
それは、「この宇宙を信頼し、愛すること」です。
まず、目的のない人間関係を育むには
(1)人を信頼し、愛する
(1)人を信頼し、愛する
そして、人を信頼し、愛するには
(2)自分を信頼し、愛する
そして、自分を信頼し、愛するには
(3)この人生を信頼し、愛するそして、この人生を信頼し、愛するには
(4)この人生を生み出しているこの宇宙を信頼し、愛する
(3)この人生を信頼し、愛するそして、この人生を信頼し、愛するには
(4)この人生を生み出しているこの宇宙を信頼し、愛する
このことのためにも、ヨガは最適なツールとなりえますね。
また、この感覚は、前にも書いたこの記事にも通じます。
「『自分だけでやらん』ということ」
その安心感の中で、目の前の人のために生きてみましょう。
与えるばかりでいいんです。
ひたすらに与える。
もちろん、大変な時には、人に打ち明けて、助けてもらいましょうね!
そして、「目的のない人間関係」の中で、思い切り笑い合いましょう!