masayoga column

構造をとろう!視座の高い瞑想的生き方

構造をとろう!視座の高い瞑想的生き方

瞑想家は基本的に「情動」があまりオートマチックに働かなくなる傾向にあると思います。
「情動」とはざっくり「感情」のことだと思ってください。
言い換えれば、意図的に情動をゴールに向かうために選びとっていると言ってもいい。

その状態を、わかりやすく、nearly equalな感じでいうなら、「冷静」。
だいたい何があっても「へー、そうなの。」って感じ。

その辺りはここにも書いているので、よかったらご一読ください。
○ masa-yoga ヨガライブラリー:「『瞑想家』の生き方とその状態について

でも、よく言われるんですよね。
「それって人間っぽくないんじゃないですか?」って。
「情動があまり働かなくなるって、なんかロボットみたい」って。

情動的な人を「感情豊か」みたいな感じで人間っぽいと思われる傾向があるかもしれませんが、
でも、ボクに言わせるとむしろそれは逆なんですよね。

情動が働くシステムは神経科学的には、大脳辺縁系に主にある。
この大脳辺縁系は動物脳とも呼ぶ科学者がいます。
つまり、情動の反応システムにやられているのは、動物的であり、人間的ではない。

人間的とは、その時の状況を冷静に観て、「気づき」、前頭前野を働かせて、ゴール達成や周りの人たちのために、理知的に行動を選び取る。

これは、ティーチャーとして、またリーダーとして、とても大切な状態です。

なぜなら。
情動が過剰であるということは、「扁桃核」の情報処理が優位となっている。
「扁桃核」が優位となると、理知的思考をする「前頭前野」の処理が劣位となる。
つまり、IQが落ちます。

ティーチャーやリーダーでこの状態はまずい。
しっかりとした判断や決断ができなくなる。
クラスのクオリティもパフォーマンスも上がらないでしょう。

あと、「共感」というのもしっかりと定義しておきましょう。
「共感」とは、クライアントが泣いていたら、それを感じて同じような精神レベルで一緒に泣くというようなことではありません。

っていうか、一緒に「大変だね。。。」って本当に情動が湧いて反応して泣くと言うことは、その聞き手にとってそれが自分の未解決の問題(unfinished business)とリンクしているから起こることですね(あえて、演技としてやっていない限り)。
そしてそれは、クライアントの持っている問題の「問題性」を強化あるいは固定してることになる。
これでは本末転倒。

「共感」とは「理解」です。
そのひとの持ってる「問題」と言われるものの、その人がつけた「問題性」は相手にはしません。
そのことを「理解」する。そして、とことん話しを聞く。
そして、「理解」されると、人は「共感」してもらえたとなる。
一緒に泣くことでありません。

このためにも、上記コラムにも書いていますが、細かい局所的見方(sementics:意味論)に引っ張られることなく、物事の全体構造(syntax:統語論)がパッと見てわかり問題解決能力が高くいたいものです。
構造をしっかりとつかむと言うことは、ボクの中では抽象度高い思考ができていることとほぼ同じと理解しています。

例えば、夫婦ゲンカをしたとして、

意味論的に見ると、
「ああ、言われたけど、絶対にあいつが悪い!!」と言うふうな思考ループに入ってしますかんじ。
統語論的に見ると、
「今日も関わりがあったなあ」とスッとその構造が浮き出て見えるから、変な思考ループに入ったりしない。

どちらがいい行動をできると思いますか?

構造をとるように心がけると視点が引き上がり、全体が見渡せて、ものの見方がとてもフレキシブルになりますよ。
おすすめです。

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